落散 京都

OCHILL KYOTO
Kyoto, Japan
Completed in 2022

建主:Ochill
照明:灯工舎
和紙:ハタノワタル
暖簾:中むら
施工:木下工務店
写真:Yuna Yagi

華々しく飾り立てられたイメージや、あらゆる事柄に対して"こうあるべき"という強迫的な情報に溢れ、そうならない生身の自分との埋めようのない乖離に苛まれる。
Ochill(オチル)として活動する彼らは、そうしたやや病的な要請に対し、「"肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態"を"well-being"と定義するなら、"社会的に欠けていても、精神的に負荷がなく、自然体である自分を認知していく状態"を"well-down"と再解釈し、ありのままの自分に堕ちていく姿も、私たちの在るべきひとつの状態」として提唱する。
彼らと対話を進めるうち、これまで拠点を東京都心に置いてきた彼らが、Ochillの活動拠点として選んだのが京都であったのは、そんな生身の自分達を包摂する、謂わば、堕ちていく先として、長い歴史のようなもの、変わらずそこにある(ように感じる)存在が必要だったからではないかと考えるようになった。
初めてこの建物を訪れた時、100年以上経つ建物の中は先のテナントによる改修で、言ってしまえば「町家風」の装いをしていた。「○○風」というのはある時点の状態を固定し、本来ある時間の流れと切り離してしまう事である。彼らの創作活動の場所としては変わらないものが必要であり、しかしそれは、例えば私たちの心象風景に結びつくような山や川といったものがそうであるように、変わり続ける(そうしながらもそこにあり続ける)事で変わらないものとしてある、時間軸を持ったものの事であると思う。
私たちはこの改修を通して、この建物が持っていた長い時間軸に溶け込むように、新しいけれど、はじめから時間の堆積を含み持つようにと考えた。具体的には、時間を経たものがそうであるように(風化したものや埃を被ったものを思い浮かべる)、柱、梁、壁、床が形を持ちつつも形がなく、それぞれがはっきりと区別できずにぼんやりと溶け合うように、柔らかな和紙や弧状の巾木でものの縁を暈し、粒状感のある木や砂、小石、和紙を使って細かな揺らめきを持たせ、そのテクスチャを残しつつも炭化したような色調に染め上げた。
和紙で拡散されるRGBの光とアクリル板で僅かに色付けされた太陽光が混ざり合い、彼らの点てる音や香りが時々に織り込まれていく。時間の堆積を含み持つ変わらない場の中に、変わるものとしての自分を置いた時、ありのままの自分に満たされ落ちていく。